SEの転職体験談・口コミ・転職理由(31件掲載)
最新分析サマリー
SEの退職理由トップ3(2025年9月時点 / 退職体験談24件):1位「キャリアの停滞感」(22件)、2位「業務内容のミスマッチ」(17件)、3位「労働環境・WLBへの不満」(6件)。
SEの入社理由トップ3(2025年9月時点 / 入社体験談27件):1位「魅力的な業務内容」(22件)、2位「新しい役割・挑戦」(22件)、3位「キャリア成長への期待」(17件)。
転職前は日本マイクロソフト、富士通などの企業が中心。転職先はフリーランス、圓窓などが挙がっています。
※公開されたSEの退職・転職エントリ31件を公開一次情報をLLMで分類→人手レビューで整理。出典URLはページ末尾で全31件掲載。
SEの統計情報
SEの転職理由の分析
SEの退職理由の分布
SEの入社理由の分布
SEの転職体験談
楽天モバイルにNECからの出向を含め約5年間在籍。モバイル事業立ち上げ、自社開発OSSのアーキテクト、国プロのPM、開発本部長など、他では得難い貴重な経験を積んだ。グローバルな環境で英語力やマネジメントスキルも向上し、エンジニアとして大きなやりがいを感じていた。しかし、心身を壊すほどの激務と高いプレッシャー、異文化環境での精神的負担が限界に達し、完全燃焼した形で退職を決意。得られた経験への感謝は大きく、後悔はない。休養後、次のキャリアで新たな挑戦を目指す意向だが、具体的な転職先は本記事では言及されていない。
14年間在籍したソフトウェアベンダーを退職。同社では、顧客と深く関わるBtoBビジネスや長期的な製品開発を通じて、趣味プログラマからプロの開発者へと大きく成長できた。上司や同僚、多様な環境から多くを学び、「組織は人」という価値観を得るなど、非常に有意義な経験だったと肯定的に評価している。退職理由は明確に述べられていないが、次のステップとして、新しい職場で更なる自己成長と社会課題の解決を目指す。
日本マイクロソフトに21年間在籍し、サポートエンジニアからProduct Marketing Managerへとキャリアチェンジを遂げた経験。文系出身で技術職に就き、16年のサポート経験を経て、40歳で未経験のマーケティング職へ異動。当初は大きな困難に直面したが、ビジネススクールに通うなどして乗り越えた。最終的にPMMとして「Visual Studio系製品のローンチ」という目標を達成したことを一つの区切りとし、次のチャレンジのために退職を決意。自身の経験を通じて、キャリアに悩む人々へのメッセージを伝えている。
日本マイクロソフトに約23年間在籍し、ITコンサルタントやマネージャーとして多様でやりがいのある経験を積んだ。会社は待遇・環境・自由度の全てにおいて最高の職場であり、退職すべき理由はなかった。しかし、コロナ禍による社会の大きな変化を機に、安定した環境に留まるのではなく、「自分の生きたい人生を生きる」という新たな挑戦を決意。これまでの成功体験を糧に、変化の波を乗りこなすべく独立・起業の道を選んだ。
新卒で3年間在籍した富士通からWEBベンチャー企業へ転職。年功序列によるキャリアの停滞感、旧態依然とした評価制度や経営層への不満、会社の将来性への懸念が主な退職理由。ITゼネコンの構造から脱却し、自社で事業を生み出し、専門性を活かせる環境を求めた結果、転職先でその目的を達成できた。
大学院で情報系を専攻後、新卒で富士通に入社。研究開発職を希望していたが、関連会社への出向となり、メインフレームシステムのSI業務(Excel入力)を担当させられたことにキャリアパスとの著しいミスマッチを感じた。専門知識が活かせない非効率な業務内容や、希望を軽視する配属決定、高圧的な上司の対応に不満を抱き、短期間での転職を決意。退職交渉でトラブルはあったものの、最終的には自身のスキルと学歴を活かし、無事転職を果たした。
システム業界で10年間勤務したピープルソフトウェア株式会社を38歳で退職し、「会社員を卒業」。在籍中は、尊敬できる上司や組織の団結力に恵まれ、会社自体に強い不満はなかった。一方で、過去には「デスマーチ」によるうつ病も経験。退職の最大の理由は、会社への不満ではなく、40歳を前に会社員という生き方から外れ、将来を見据えて様々なことに挑戦したいというポジティブな動機から。今後はフリーランスとして自由なスタンスで活動していくことを決意した。
SIerとして野村総合研究所に7年間勤務。高年収で安定していたが、自身でプログラミングをする機会がなく、マネジメント業務中心のキャリアに違和感を抱いていた。プログラミングスクールでの経験を機に、技術の「構造」と「処理」を追求できるWebエンジニアへの憧れが強まる。社内には技術的なロールモデルが見当たらず、30歳を目前にしてキャリアチェンジの最後の機会と捉え、年収ダウンも覚悟の上で退職を決意。スタートアップのプレイドへ転職し、本当にやりたかった技術中心のキャリアを歩み始めた。
新卒で野村総合研究所に10年半在籍。インフラエンジニアとしてキャリアを開始し、子会社出向を経てフルスタックエンジニア、ソリューションアーキテクト、システムコンサルタントと多様な経験を積んだ。会社への待遇や環境に不満は一切なく、恵まれた環境に感謝しつつも、キャリア10年を節目に成長の鈍化を感じ始める。「自己実現」のため、そして1社だけでなく他の環境も経験したいという思いから、事業会社でエンジニアとして事業にコミットする新たな挑戦を決意した転職。
大学院修了後、日立製作所にSEとして3年間勤務。技術力が身につかず、担当システムの専門性が高すぎて他社で通用しないことへの危機感、仕事内容への興味の喪失、月100時間を超えることもある過度な残業を理由に転職を決意。技術力、特にフルスタックエンジニアを目指せる環境を求めWeb系の会社へ転職した。しかし、転職先は常駐が多く、技術習得の面で期待とは異なり、会社選びに少し後悔している。転職自体は後悔していないものの、自社サービスを持つ企業を選ぶべきだったと振り返っている。
新卒で日系大企業に入社し、インフラエンジニアとして勤務。ワークライフバランスや福利厚生、人間関係には恵まれていたが、技術スペシャリストとしてのキャリアパスがなく、ジェネラリスト(マネジメント)への移行を求められることに違和感を抱く。外部コミュニティでの刺激から自身の技術力向上への意欲が高まり、クラウドやコンテナ領域の専門性を追求できる環境を求めて転職を決意。転職後は業務内容、給与、福利厚生の全てに満足しており、後悔はないと述べている。
新卒でデジタル・アドバタイジング・コンソーシアムに6年間在籍し、LINE関連の開発やベトナム出向、マネジメントを経験。若手でも海外勤務など自由に挑戦させてもらえる環境だったが、エンジニアとしての技術的な成長に停滞感を覚え、業界の将来性にも懸念を抱いていた。決定的な要因は、出向中の昇給がないなど給与・評価制度への強い不満。転職先のリクルートでは、ブリッジエンジニアとしてキャリアを継続しつつ、将来的なビジネス立ち上げも視野に入れている。
SEのよくある質問
出典
このページのデータは、以下の体験談・記事をもとに構成しています。