プロジェクトマネージャーの転職体験談・口コミ・転職理由(41件掲載)
リアルなプロジェクトマネージャーの転職体験談・口コミ41件を掲載中。転職元企業例:記載なし、楽天。転職先企業例:記載なし、フリーランス。
プロジェクトマネージャーの統計情報
プロジェクトマネージャーの転職理由の分析
プロジェクトマネージャーの退職理由の分布
プロジェクトマネージャーの入社理由の分布
プロジェクトマネージャーの転職体験談
株式会社リビルドにWebエンジニアとして5年3ヶ月在籍。その間、技術やビジネススキルを学び、教育担当も経験したが、社内のマネージャー不足からPjMの役割を担うことに。しかし、PjM業務が自身に合わずプレッシャーを感じたこと、そして自身の成長のために快適な環境を越えた挑戦が必要だと感じたことから転職を決意。転職先は株式会社WANDYで、一人目のエンジニアとして組織作りからプロダクト作りまで挑戦している。
大学4年生(23卒)が、約1年間のインターンとして在籍したUPSIDER社を卒業し、新卒でSansan社へ入社する「退職エントリ」。UPSIDERではCS、セキュリティ、HRと複数の部署を経験し、特にHRではインターン採用責任者として大きな裁量権を持って業務に取り組んだ。業務過多や卒論との両立で精神的に追い込まれた時期もあったが、上司や同僚の支えで乗り越え、人間的にも大きく成長できたと語る。企業文化や働く人々への強い感謝が述べられている。
楽天モバイルにNECからの出向を含め約5年間在籍。モバイル事業立ち上げ、自社開発OSSのアーキテクト、国プロのPM、開発本部長など、他では得難い貴重な経験を積んだ。グローバルな環境で英語力やマネジメントスキルも向上し、エンジニアとして大きなやりがいを感じていた。しかし、心身を壊すほどの激務と高いプレッシャー、異文化環境での精神的負担が限界に達し、完全燃焼した形で退職を決意。得られた経験への感謝は大きく、後悔はない。休養後、次のキャリアで新たな挑戦を目指す意向だが、具体的な転職先は本記事では言及されていない。
7年間在籍したWeb制作会社のルート・シーに感謝を述べつつ、モチヤ株式会社へ転職。ルート・シーではWebディレクター/プロマネとして裁量権のある環境で成長できたが、社外活動を通じて視座が変化。よりマクロな視点で、優秀な仲間と新たな挑戦をしたいという思いが強まったことが転職理由。転職先ではこれまでのスキルを活かしつつ、上流工程のプロジェクトマネジメントや未経験の業務に挑戦することに期待と意欲を示している。
新卒でリクルートに入社し3年半在籍。入社前に掲げた技術・マネジメント・事業理解の3つの目標を、意向を汲んでくれる上司や優秀な同僚に恵まれた環境で達成した。目標達成を一つの区切りとし、自身の「細かい仕事が苦手でリスク許容度が高い」という特性がスタートアップ経営者向きであると確信したことから退職を決意。今後は起業家として、人類への貢献や自身の世界観の実現を目指す。
新卒で6年間Webエンジニアとして在籍した楽天を退職し、DeNAへ転職。楽天では、多様な業務経験や英語力向上、手厚い福利厚生、高い給与などポジティブな点が多かったが、詳細は伏せられているものの強い退職動機があった。転職先のDeNAでは、エンジニアの裁量が大きく、人材をリスペクトするカルチャーや優秀な同僚に魅力を感じており、自由な働き方を実現しながら刺激的な環境で活躍している。
新卒で商社に入社後、IT知識への危機感からエンジニアへ転身。AIベンチャー、フリーランスを経て、縁あってエクスプラザに業務委託として参画した。同社での「裁量の大きさ」や「挑戦できる環境」に強く惹かれ、元々志向していた上流工程やマネジメントへの挑戦機会を得るために、より深くコミットできる正社員としてのジョインを決意。メンバーの人柄の良さや、安心して意見を出し合える組織カルチャーも入社の決め手となった。今後はエンジニアリングとマネジメントの両面でチームと事業に貢献していく意欲を示している。
総合コンサルティングファームでPM/PMOとして約4年半勤務し、大きく成長するも働きすぎで体調を崩したことを機に転職を決意。自身のMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)と一致し、採用過程で出会った社員に魅力を感じたカオナビに入社。現在はカスタマーサクセスとして、人が活きる組織づくりを支援することにやりがいを感じており、魅力的な同僚や仕組みが整った環境に満足している。
株式会社はてなにアルバイト含め約11年間エンジニアとして在籍。優秀な同僚に囲まれ、バックエンド開発やプロジェクトマネジメントなど多様な経験を通じて大きく成長できたことに感謝している。しかし、一つの文化や環境しか知らないことが将来的なキャリアの弱みになると考え、視野を広げるために転職を決意。コロナ禍でフルリモートの選択肢が増えたことも後押しとなり、他社で新たな経験を積むことを選択した。
SIerとして野村総合研究所に7年間勤務。高年収で安定していたが、自身でプログラミングをする機会がなく、マネジメント業務中心のキャリアに違和感を抱いていた。プログラミングスクールでの経験を機に、技術の「構造」と「処理」を追求できるWebエンジニアへの憧れが強まる。社内には技術的なロールモデルが見当たらず、30歳を目前にしてキャリアチェンジの最後の機会と捉え、年収ダウンも覚悟の上で退職を決意。スタートアップのプレイドへ転職し、本当にやりたかった技術中心のキャリアを歩み始めた。
大学院修了後、日立製作所にSEとして3年間勤務。技術力が身につかず、担当システムの専門性が高すぎて他社で通用しないことへの危機感、仕事内容への興味の喪失、月100時間を超えることもある過度な残業を理由に転職を決意。技術力、特にフルスタックエンジニアを目指せる環境を求めWeb系の会社へ転職した。しかし、転職先は常駐が多く、技術習得の面で期待とは異なり、会社選びに少し後悔している。転職自体は後悔していないものの、自社サービスを持つ企業を選ぶべきだったと振り返っている。
日本経済新聞社でエンジニアとして約3年間、モダンなWeb開発プロジェクトに従事。優秀な同僚に恵まれ、技術的な成長や社会貢献性の高い業務、良好な待遇に満足していた。しかし、旧来の組織体質や、納得感のない人事が原因でチームメンバーが大量離脱したことに不満を抱いた。エンジニアリングだけでは解決できない組織課題に直面しキャリアの限界を感じたため、Google JapanへMobile Technical Solutions Consultantとして転職。新たな立場でWeb技術の発展に貢献することを目指す。
プロジェクトマネージャーのよくある質問
出典
このページのデータは、以下の体験談・記事をもとに構成しています。