エンジニアリングマネージャー
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エンジニアリングマネージャーの転職体験談
LINEヤフーでソフトウェアエンジニアとして5年間、バックエンドからフロントエンド、EMまで幅広く経験。現職に不満はなかったが、Xで知ったnewmoの魅力的なメンバーと、社会インパクトの大きい交通課題という事業に惹かれ、初の転職を決意。決め手は「事業の魅力」「人の魅力」「スタートアップ初期というタイミング」の3点。入社後は、技術レベルの高い同僚と刺激しあえる環境や、スタートアップらしい変化の速さに満足している。
BASEで4年3ヶ月、バックエンドエンジニアからEMまで幅広く経験。明確な不満はなかったが、自身の「ソフトウェア開発の改善」という関心事をプロダクトとして提供したいという思いと、「グローバルな環境で挑戦したい」という2つの目標が明確になったため転職を決意。転職先は、ソフトウェア開発者を顧客とし、自身の関心事が直接ビジネスに繋がるテスト自動化プラットフォームを提供するAutify社を選択。公用語が英語のグローバルチームである点も決め手となった。ICのバックエンドエンジニアとして、Unlearnの姿勢で貢献を目指す。
サイバーエージェント、電通デジタルで広告プロダクト開発やSRE組織立ち上げを経験後、よりユーザーに近い事業会社での挑戦を求め、スタートアップのエスマットへ転職。サイバーエージェント時代の元同僚からの誘いがきっかけとなり、自社でIoTデバイスを開発する技術的な魅力とスタートアップならではの環境に惹かれた。入社後はSREからEMを経て本部長に就任し、組織マネジメントや技術刷新を主導。現在は生成AIとIoTデータを活用した新たな価値創造に挑んでいる。
株式会社ヘンリーでVPoEを3年間務めた後、退職し起業することを決意。在職中の採用活動を通じて感じた「知名度が低い良い会社が埋もれてしまう」という採用市場の課題を、生成AIの波をチャンスと捉えて解決する事業を立ち上げるため。前職へのネガティブな感情はなく、むしろ感謝しており、自身の新たなビジョンを実現するための前向きな退職である。
はてなに新卒入社後11年間勤務し、エンジニアリングマネージャを務めていたが、40歳を前に1社経験のみであることへの焦りと、マネジメント業務が自身の「ハッピーにコードを書きたい」という想いと異なると気づき転職を決意。友人の誘いをきっかけに、尊敬する元上司がCTOを務める一休へ。一休では、エンジニアが裁量を持って開発できる事業構造に魅力を感じ、役職のないソフトウェアエンジニアとして再出発。人との縁と、やりたいことを追求できる環境が決め手となった。
ソフトウェアエンジニアとしてメルカリなどを経て、スターフェスティバル社でエンジニアリングマネージャーとして勤務後、創業期のnewmo社へソフトウェアエンジニアとして転職。知人からの紹介をきっかけに経営陣と会話し、事業のミッション・ビジョンに強く共感。規制業界への挑戦や、制度・コードなどが未整備な0→1フェーズである不確定要素の多い環境に魅力を感じ、入社を決意。前職のフルリモートから週5出社へと働き方は変化したが、プロダクト開発と採用業務を兼務し、会社の立ち上げに貢献している。
DeNAに新卒入社し3年間、バックエンドやUnity開発など多様な経験を積んだエンジニアの転職事例。自身の「未経験領域に挑戦したい」という探究心から、同期が転職していたクラウドセキュリティのスタートアップCloudbaseに興味を持つ。最終的な決め手は、未知の領域であること、そしてエンジニアが商談に同席するなどビジネスサイドの知見も深められる業務内容の魅力。入社後は、優秀な同僚に囲まれ、顧客と直接対話しながら本質的な開発に携われる環境に大きなやりがいを感じている。
約3年間メルカリに在籍した筆者は、エンジニアとして主にGolangなどモダンな技術スタックを活用し、後にエンジニアマネージャーも経験。グローバル基準の福利厚生や活発なエンジニア文化に魅力を感じ、成長機会も豊富だったため同社への満足度は高かった。一方で、自身が副業として運営していた求人サイト「Japan Dev」を本格展開する決意を固め、起業独立を選択。日本のIT業界の魅力を世界に広めるべく、スタートアップとしてさらなる発展を目指している。
リクルートで約7年間データエンジニアやエンジニアマネージャーとして従事。素晴らしいチームに恵まれた一方、社内コンペで起案した新規事業が最終的に撤退となり、大企業における意思決定に疑問を抱く。この経験と、専門的な知見を持つ人材とそれを求める企業との間に情報の非対称性が存在するという原体験から、テック人材が気軽に相談できるサービス『Yard』を立ち上げるために38歳で起業した。
金融スタートアップのFOLIOにテックリードとして入社し、1年8ヶ月在籍。開発プロジェクトの推進やエンジニア組織のブランディング確立に大きく貢献した。しかし、複合的なストレス要因から「抑うつ状態」となり休職。復職後も特定のストレス要因が解決できず、環境を変えるため退職を決意。以前接点のあったfreeeから再度声がかかり、エンジニア組織の課題解決を担う新設の「開発組織企画」というポジションに魅力を感じて入社を決めた。
ソフトウェアエンジニアとして3年半在籍したIndeed Japanから、スタートアップのestieへ転職。前職は待遇・環境・同僚に恵まれ成長できたものの、コロナ禍のリモートワーク移行で成長の鈍化とキャリアの停滞感を覚えるようになった。「プロダクトの作り手でありたい」という思いと、estieの事業モデルや裁量権の大きさに魅力を感じ、後悔しない選択として転職を決意。年収は下がるが、明確なイグジット戦略とストックオプションに期待し、VP of Productという新たな役職に挑戦する。