プログラマー

43件の転職体験談を掲載中

作成日: 2025年8月25日
更新日: 2025年10月10日

プログラマーの転職理由の分析

プログラマーの退職理由の分布

43名のデータを集計

プログラマーの入社理由の分布

43名のデータを集計

プログラマーの転職体験談

43
エムスリーUbie

メーカー系SIerのSEからプログラマーを目指し、未経験でエムスリーに入社。優秀な同僚に囲まれ、Androidアプリやマイクロサービス開発など多様な経験を積み大きく成長した。自律性を重んじる社風、納得感のある評価制度、良好なワークライフバランスなど、非常に恵まれた環境で4年半を過ごした。会社に不満はなかったが、知人から誘われた会社の事業に「夢」を感じ、新たな挑戦のため退職を決意。エムスリーへの深い感謝と共に、次のステップへの決意を表明している。

ウサギィフリーランス

受託開発企業で約3年半プログラマーとして勤務。技術的な裁量権が大きく自由に働ける環境で成長できた一方、相談相手がいないことによる孤独感やキャリアの停滞感、零細企業であることへの将来不安を感じていた。より刺激的で優秀なエンジニアと働ける環境を求め、特定の企業に縛られないフリーランスへの転身を決意。まずはクラウドワークスに常駐し、身軽な立場で経験を積むことを目指している。

ZOZOテクノロジーズUbie

ZOZOテクノロジーズで研究開発エンジニアとして3年半在籍し、難易度の高い開発に携わり成長。会社は給与・福利厚生も良く挑戦的な環境だったが、39歳を機にキャリアを再考。将来の夢であるペットテック分野での活躍を見据え、まずはプロダクト開発の0→1から100までを経験するため、医療xAIスタートアップのUbieへ転職を決意した。Ubieの社会貢献性の高い事業、プロダクト開発に集中できる環境、高い給与やフラットな組織文化が決め手となった。現職への不満ではなく、将来のためのポジティブなキャリアチェンジである。

Wano記載なし

Wano株式会社にプログラマーとして10ヶ月在籍した筆者が、自身の体調不良や家族の事情を機に退職を決意。前職まで「できること」を優先してきたキャリアを見直し、「やりたいこと」を追求する必要性を感じたことも理由の一つ。転職元のWano社は、優秀なデザイナーやエンジニアが多く、技術的に面白い経験ができたとポジティブに評価している。一方で、多忙さから社員間の交流が少なかった点は心残りだったと振り返る。次のキャリアは未定で、当面は静養しつつ今後の人生設計を考えるとしている。

Unity Technologies Japanジェムドロップ

Unity Technologies Japanに4年間在籍し、サポートやコミュニティ業務に従事。組織文化や人間関係は非常に良好で、尊敬できる同僚や上司に恵まれた環境だった。しかし、本来の目標であった「仕事としてチームでゲームを開発する」というキャリアが実現できず、このままではゲーム開発者としてのキャリア形成が困難になると感じ転職を決意。転職活動では在籍企業のメンバーから手厚いサポートを受け、以前から憧れていたゲーム開発会社のジェムドロップ株式会社へ円満に移籍した。

Treasure Data記載なし

開発者として約6年間在籍したTreasure Dataを退職。同社では、優秀な同僚、グローバルな環境での英語力向上、手厚い報酬など多くの恩恵を受け、満足度の高い期間を過ごした。しかし、会社の規模拡大に伴う組織とのギャップや、自身のキャリアを見つめ直す時間的余裕のなさを感じ、退職を決意。次のフルタイムの仕事は決めず、数ヶ月の休息期間を設け、まずはスタートアップの技術顧問として自身の経験を活かしながら、今後のキャリアを模索する。

無職SmartBank

ソフトウェアエンジニアとして無職期間に公開求職活動を行い、約100社からの連絡を経てSmartBankに入社。転職活動では「事業」「人」「技術」「企業のフェーズ」を重視した。決め手は、将来性を感じたFintech事業、システムや組織をゼロから作る立ち上げフェーズへの魅力、そして連続起業家である3人のファウンダーへの期待だった。入社後1年半が経過し、その選択が間違っていなかったことを実感している。

ソニーグループ記載なし

1995年から19年間ソニーでソフトウェアエンジニアとして勤務。入社当初は「自由闊達にして愉快なる理想工場」という理念に共感し、自身の価値を認めてくれた会社に強い思い入れがあった。しかし、時代の変化と共に会社の価値観との間にズレを感じるようになり、収入の微減による経済的な問題も発生。最終的には、会社の価値観とのミスマッチと年収向上を目的として転職を決意した。ソニーへの感謝と愛着を抱きつつも、新たな道へ進む決断をした体験談。

NTTビズリーチ

プログラマとして8年間在籍したNTTデータ先端技術を2014年3月末に退職し、翌4月からビズリーチへ転職。「プログラマ35歳定年説」という言葉を引用し、キャリアの節目での転職であることを示唆している。転職元への具体的な不満は述べられていないが、転職先のビズリーチについては「体育会系」との印象を持ち、自身のワークライフバランスとカルチャーが合うか、試用期間を乗り切れるかについて不安を吐露している。

記載なしMICIN

Web系プログラマーとして働いていた筆者が、個人的な体験を機に医療分野への貢献を決意。転職ドラフト経由でMICINと出会い、カジュアル面談や面接を通じて同社の医療への情熱やビジョン、患者寄りの思想に強く共感。自身の技術力と経験を活かせると確信し、入社を決めた。コンサルタントや医師など多様で優秀な人材が集まる環境で、医療をより良くしていくことへの意欲を示している。

NextremerLAPRAS

Nextremer社で約4年間ジェネラルマネージャー兼プログラマーとして従事後、会社の事業フェーズの変化に伴い求められるスキルとのズレを感じ、自身の強みを活かせる環境を求めてLAPRAS社へVPoEとして転職。円満な形で前職との業務関係(アドバイザリー契約)も継続しつつ、新天地では開発者の一員としてサービス作りに貢献しながら、組織強化にも意欲を見せている。

富士通Gunosy

約4年間、富士通でスーパーコンピュータ向けのミドルウェア開発に従事。やりがいのある業務や人間関係に恵まれ、自身の成長を実感していた。しかし、大企業特有の調整業務や書類仕事、SI的な開発スタイルにミスマッチを感じていた。学生時代から興味のあったデータマイニング技術を活用し、B2C事業を展開するスタートアップのGunosyで挑戦したいという思いが強まり、28歳という年齢も後押しとなって、自身の更なる成長を求め転職を決意した。

プログラマーのよくある質問

出典

このページのデータは、以下の体験談・記事をもとに構成しています。

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