プランナーの転職体験談・口コミ・転職理由(15件掲載)

作成日: 2025年3月28日
更新日: 2025年10月16日
最新分析サマリー

最新分析サマリー

プランナーの退職理由トップ3(2024年11月時点 / 退職体験談12件):1位「キャリアの停滞感」(8件)、2位「業務内容のミスマッチ」(6件)、3位「事業・方針への懸念」(2件)。

プランナーの入社理由トップ3(2024年11月時点 / 入社体験談13件):1位「新しい役割・挑戦」(11件)、2位「魅力的な業務内容」(9件)、3位「事業・ビジョンへの共感」(5件)。

転職前は博報堂、ルート・シーなどの企業が中心。転職先は起業、モチヤなどが挙がっています。

※公開されたプランナーの退職・転職エントリ15件を公開一次情報をLLMで分類→人手レビューで整理。出典URLはページ末尾で全14件掲載。

プランナーの転職理由の分析

プランナーの退職理由の分布

15名のデータを集計

プランナーの入社理由の分布

15名のデータを集計

プランナーの転職体験談

15
ルート・シーモチヤ

7年間在籍したWeb制作会社のルート・シーに感謝を述べつつ、モチヤ株式会社へ転職。ルート・シーではWebディレクター/プロマネとして裁量権のある環境で成長できたが、社外活動を通じて視座が変化。よりマクロな視点で、優秀な仲間と新たな挑戦をしたいという思いが強まったことが転職理由。転職先ではこれまでのスキルを活かしつつ、上流工程のプロジェクトマネジメントや未経験の業務に挑戦することに期待と意欲を示している。

博報堂記載なし

新卒で6年半在籍した博報堂アイ・スタジオを退職。デザイナーやプランナーとして多様な経験を積み、好きな仕事に関われる自由な環境に感謝している。しかし、業務が多岐にわたることで器用貧乏になっていると感じ、Webデザイナーとしての専門技術を追求したいという焦りが生まれた。自身のキャリアを見つめ直し、改めてデザイナーとして専門性を深めるために退職を決意した。

博報堂トライバルメディアハウス

新卒で4年間プロモーションプランナーとして勤務した博報堂プロダクツからトライバルメディアハウスへ転職。前職の会社や人間関係、待遇に全く不満はなかったが、「冒険してみたい」という直感的な動機が転職のきっかけ。自身のIMCプランニング能力と、転職先のデジタルマーケティング領域で化学反応を起こせるのではという期待感、そして自身のキャリアアップへの思いから決断。転職後の環境にも満足しており、自らの選択を正解にするという強い意志で業務に臨んでいる。

博報堂起業

博報堂にCMプランナー/ディレクターとして19年間勤務。リーマンショック後の広告業界のデジタル化やグローバル化に適応できないことへの危機感、そして日本の将来への閉塞感を抱いていた。子どもの誕生や育休中のアジア放浪を経て価値観が変わり、特に子どもの教育環境を重視するように。最終的に、理想的な教育方針があり、日本人が起業しやすい制度を持つオランダへの移住を決意し、退職・起業に至った。

はてなCHOCOLATE

株式会社はてなで営業として3年4ヶ月勤務。企業とライターを繋ぐコンテンツ制作に大きなやりがいを感じ、人間関係にも恵まれ非常に満足度の高い職場だった。しかし、この「快適な状況」に安住せず、キャリアをさらに前進させるため、より多様なプラットフォームで横断的・実践的にコンテンツづくりに挑戦したいと考え転職を決意。次のCHOCOLATE社では、デジタル時代における良質なコンテンツ制作という軸は変えず、新たなチャレンジに臨む。

アクセンチュアMicoworks

デザイナーとしてキャリアを開始し、起業やエージェンシーを経て大手コンサルティングファーム「アクセンチュア」へ。経営レイヤーからブランディングに携わったが、提案が主で最終的な実行・判断ができないコンサルタントの立場に限界を感じ、当事者として事業を推進できる環境を求めて転職を決意。転職先には、経営スピードが速く「会話」という事業領域に将来性を感じたスタートアップ「Micoworks」を選択。20年以上の経験を活かし、事業会社の当事者としてビジョン達成に貢献することに強い意欲を示している。

ZOZOテクノロジーズByteDance

ZOZOテクノロジーズでPMとして約2年間勤務。会社のカルチャーやメンバーを高く評価し、広告事業の立ち上げやWEARのPMなど多様な経験を積んだ。しかし、30代を迎え、より速いスピードでグローバルな挑戦をしたいという思いが強くなり、自身のキャリアの時間軸とのズレを感じて退職を決意。今後はBytedanceにPMMとしてジョインし、「グローバル×プロダクト×マーケティング」の領域で専門性を高め、強制的に英語を使う環境でキャリアを築いていく。金銭的な心配なく挑戦できる環境も入社の決め手となった。

博報堂Preferred Networks

広告会社の博報堂でクリエイティブ職として8年半勤務。成果が出ず、自身の適性に悩みキャリアの停滞感を覚えていた。特に異動先のSIXでは求められるレベルの高さに苦しみ、「広告クリエイティブでなくても良いかもしれない」と考えるように。そんな中、LinkedIn経由でAI企業Preferred Networksからマーケティングチーム立ち上げのスカウトを受け、最先端テクノロジーの領域に新たな可能性を感じて転職を決意。転職後は、エンジニア中心の環境を楽しみ、目指していた「クリエイティブ×テクノロジー」の実現可能性や、副業を通じて自身のスキルの価値を再認識している。

LIFULLnote

13年半勤務したLIFULL社からnote社へ転職。前職は人が良く、ビジョンが浸透し、挑戦を応援してくれる素晴らしい環境であったと高く評価。しかし、40歳を目前に控え、居心地の良い環境に甘んじている危機感や、さらに自分の興味分野に挑戦したいという思いから転職を決意した。転職活動では「ビジョンへの共感」「カルチャーフィット」「事業成長性」を軸にnote社を選択。今後は事業開発担当として、新たな価値を創出していく意欲を示している。

CINRA起業

新卒から3年間、広報として勤務したCINRAをポジティブな理由で退職し、独立。同社は従業員の疑問に真摯に向き合い、経営陣にも直接意見を言える風通しの良い組織で、自身の成長にも繋がったと高く評価している。退職理由は会社への不満ではなく、分野に縛られずに「現状の解決」や「体験の提供」といった自身のやりたいことを追求するため。今後は個人事業主として、インターネットを中心に感動を生み出すことを目指す。

任天堂記載なし

新卒で入社した任天堂でゲームプランナーとして勤務。元々「ゆっくりまったり」働きたいという希望とは裏腹に、創造性やゲームへの情熱を強く求められる企業文化に適合できなかった。自身のスキル不足や情熱の欠如からキャリアに停滞感を覚え、本格的な企画業務を任された際に実力不足を痛感。これがきっかけとなり、創造的な仕事から離れ、当初の希望であった「ゆっくりまったり」できる環境を求め転職を決意。1年間の活動の末、希望に近い会社へ転職を果たした。

記載なし記載なし

広告代理店でプランナーとして働いていたが、大量消費されるクリエイティブを生み出すことに疲弊し、自身の仕事が社会に貢献しているか疑問を抱く。休職を申し出るも認められず退職を決意。9ヶ月のキャリアブレイク期間を経て、自身の価値観を見つめ直し、「長く未来に残る仕事」を志向。公共空間に関わる現在の会社へ転職した。入社後は理想と現実のギャップを感じることもあるが、「100年先の誰かのため」という新たな目標を掲げ、前向きに業務に取り組んでいる。

プランナーのよくある質問

出典

このページのデータは、以下の体験談・記事をもとに構成しています。