プランナー
8件の転職体験談を掲載中
プランナーの統計情報
主な転職元企業
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プランナーの退職理由の分布
プランナーの入社理由の分布
プランナーの転職体験談
ZOZOテクノロジーズでPMとして約2年間勤務。会社のカルチャーやメンバーを高く評価し、広告事業の立ち上げやWEARのPMなど多様な経験を積んだ。しかし、30代を迎え、より速いスピードでグローバルな挑戦をしたいという思いが強くなり、自身のキャリアの時間軸とのズレを感じて退職を決意。今後はBytedanceにPMMとしてジョインし、「グローバル×プロダクト×マーケティング」の領域で専門性を高め、強制的に英語を使う環境でキャリアを築いていく。金銭的な心配なく挑戦できる環境も入社の決め手となった。
広告会社の博報堂でクリエイティブ職として8年半勤務。成果が出ず、自身の適性に悩みキャリアの停滞感を覚えていた。特に異動先のSIXでは求められるレベルの高さに苦しみ、「広告クリエイティブでなくても良いかもしれない」と考えるように。そんな中、LinkedIn経由でAI企業Preferred Networksからマーケティングチーム立ち上げのスカウトを受け、最先端テクノロジーの領域に新たな可能性を感じて転職を決意。転職後は、エンジニア中心の環境を楽しみ、目指していた「クリエイティブ×テクノロジー」の実現可能性や、副業を通じて自身のスキルの価値を再認識している。
13年半勤務したLIFULL社からnote社へ転職。前職は人が良く、ビジョンが浸透し、挑戦を応援してくれる素晴らしい環境であったと高く評価。しかし、40歳を目前に控え、居心地の良い環境に甘んじている危機感や、さらに自分の興味分野に挑戦したいという思いから転職を決意した。転職活動では「ビジョンへの共感」「カルチャーフィット」「事業成長性」を軸にnote社を選択。今後は事業開発担当として、新たな価値を創出していく意欲を示している。
新卒から3年間、広報として勤務したCINRAをポジティブな理由で退職し、独立。同社は従業員の疑問に真摯に向き合い、経営陣にも直接意見を言える風通しの良い組織で、自身の成長にも繋がったと高く評価している。退職理由は会社への不満ではなく、分野に縛られずに「現状の解決」や「体験の提供」といった自身のやりたいことを追求するため。今後は個人事業主として、インターネットを中心に感動を生み出すことを目指す。
新卒で入社した任天堂でゲームプランナーとして勤務。元々「ゆっくりまったり」働きたいという希望とは裏腹に、創造性やゲームへの情熱を強く求められる企業文化に適合できなかった。自身のスキル不足や情熱の欠如からキャリアに停滞感を覚え、本格的な企画業務を任された際に実力不足を痛感。これがきっかけとなり、創造的な仕事から離れ、当初の希望であった「ゆっくりまったり」できる環境を求め転職を決意。1年間の活動の末、希望に近い会社へ転職を果たした。
広告代理店でプランナーとして働いていたが、大量消費されるクリエイティブを生み出すことに疲弊し、自身の仕事が社会に貢献しているか疑問を抱く。休職を申し出るも認められず退職を決意。9ヶ月のキャリアブレイク期間を経て、自身の価値観を見つめ直し、「長く未来に残る仕事」を志向。公共空間に関わる現在の会社へ転職した。入社後は理想と現実のギャップを感じることもあるが、「100年先の誰かのため」という新たな目標を掲げ、前向きに業務に取り組んでいる。
ブライダル業界で14年間勤務後、子育てと仕事の両立を目指しインゲージ社へ転職。前職では土日勤務が多く、子供との時間が十分に取れないことに悩み、働き方の改善が最大の転職理由となった。同時に、社会人としてのやりがいも求め、誇れるプロダクトがあり、裁量を持って働ける環境を軸に転職活動を実施。インゲージ社では当初応募したカスタマーサクセス職ではなく、面接を経て総務・労務職として内定。入社後は法務をメインに担当するなど、未経験の領域で挑戦を続けている。効率性とコミュニケーションを両立する社風に刺激を受け、家庭とやりがいを両立する働き方を実現している。
広告代理店で天職と感じたプランナーとして働いていたが、際限のない仕事と大量消費への疑問から疲弊。休職も認められず退職を決意。9ヶ月のキャリアブレイクと欧州旅行を経て、「長く残り、未来のためになる仕事」を求め、公共空間に関わる現職へ。「公園をつくる仕事」で検索し応募。入社半年、業務には慣れたが孤独感や違和感も感じる。過去を振り返りつつも、100年先を想い、現実と折り合いをつけながら進んでいく決意を述べている。