事業責任者
13件の転職体験談を掲載中
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事業責任者の転職体験談
大学教員からオープンソースを日本に根付かせるという志を持ち、2000年にVA Linux Systems Japanに入社。米国本社の崩壊など数々の困難を乗り越え、OSDN事業(Slashdot Japan, SourceForge.JP)を牽引した。その後、事業譲渡を経てOSDN株式会社として独立。米国側との関係悪化から決別し、OSDN.netをグローバルサービスへと成長させたが、事業と組織の閉塞感からアピリッツ社へ事業を譲渡。最終的に21年間の航海を終え、日本のオープンソース振興という新たな目標のため退職した。
新卒でPR TIMESに3年半在籍。営業から始まり、SaaS事業「Jooto」へ異動後は1人目のセールスとして事業の立ち上げを経験。その後、事業部長代行として苦難を乗り越え、営業マネージャーとしてチームをMVT受賞に導くなど、常に挑戦的な環境で成長を実感した。会社への不満は一切なく、恵まれた環境だったと評価しているが、「自身の存在意義や影響範囲を拡大したい」という思いから、よりゼロに近いフェーズで事業と組織を創る経験を求め、SaaSスタートアップへの転職を決意した。
NTT系SIerにエンジニアとして6年4ヶ月在籍後、事業会社であるピクシブへ転職。前職は安定しておりインフラに関わる誇りを感じていたが、30歳を目前に自身のスキルがネット系に向いていると考え、より価値を発揮できる環境を求めて決断。転職後は、大企業とベンチャーの文化や事業スピードの違いに戸惑いながらも、事業を成長させる開発の楽しさを実感。今後は自身の経験を活かし、組織が抱える課題解決にも貢献していきたいと考えている。
Manabieで約2年間、ベトナム事業の責任者としてPMFやグロース、50人規模のチームマネジメントを経験し、大きな成長を実感。チームが安定し、自身の中で「20代のうちに東南アジアで事業を0から作りたい」という思いが強くなったため退職を決意。CEOからの後押しもあり、ベトナムで起業し、日本企業向けの受託開発とベトナム向け自社サービスの事業を開始した。
Gunosyで4年間アプリマーケティング担当としてキャリアを築いた筆者の退職エントリー。プロモーション担当から始まり、複数プロダクトの兼任、マネージャー、新規事業のプロダクトオーナー、子会社での事業責任者まで、多岐にわたる役割を経験。KPI経営が徹底された文化の中で、テレビCM企画、インハウス運用、SQLスキルなど専門性を高め、大きく成長できたことへの感謝を述べている。退職理由は明確に書かれていないが、豊富な経験を経て次のキャリアへ進む円満退社と見られる。転職先についての言及はない。
新卒でコンサルを経験後、創業期のエムスリーキャリアに約12年在籍し事業部長まで歴任。多くの機会を得て成長とやりがいを感じていたが、35歳を節目に新たな挑戦を決意。より現場や経営に近いアーリーフェーズの環境を求め、不動産DXスタートアップのestieへ転職。事業の将来性やプロダクトの優位性に魅力を感じ、今後は新規事業開発をリードし会社の成長に貢献することを目指す。
新卒でメルカリに入社後、PdMやマネージャーとして6年間勤務。MVPを受賞するなど会社に貢献し、事業や組織に強い愛着を持っていた。しかし、6年を経て今後の成長が予測可能になったことに課題を感じていた折、IVRyと出会う。代表の魅力、会社の急成長フェーズ、社会貢献性の高い事業、そして社員の熱狂的な姿勢に強く惹かれ、メルカリでは得られない非連続な成長と新たな挑戦を求めて転職を決意した。
ByteDanceにてエンタープライズSaaS「Lark」の日本事業責任者として立ち上げを経験。包括的な知識やスキルを身につけるなど貴重な経験を積んだ一方、日本のエンタープライズ市場におけるプロダクト戦略で本社との間に見解の相違が生じ、進展が見られなかった。自身の志向するエンタープライズ市場での新たな挑戦と、プロダクト戦略へより密接に関与できる環境を求め、日系のシリーズAのSaaSスタートアップへ転職。今後は新たな市場創造と会社の成長に貢献することを目指している。
ファンコミュニケーションズでWebエンジニアから事業責任者へと4年間で大きく成長。裁量権があり良好な環境だったが、リモートワークが不可になる会社方針の変更が、母親の介護という家庭の事情と重なり退職を決意。自身の「ITで人を救う」という軸と合致するLINEヤフーへ、PdMとして新たな挑戦を開始する転職体験。
一般社団法人デザインシップでカンファレンス事業部長として約4年間勤務。しかし、経営陣とのコミュニケーション問題やガバナンス不全が原因で心身に不調をきたし、最終的には不当解雇された。労働審判と裁判を経て和解が成立。退職後は特定の企業に属さず、PM兼デザイナーとしてプロジェクトに参加するほか、eSports関連の活動や休学していた大学の卒業を目指すなど、個人の裁量で活動している。
LINEヤフーで本部長を務め、未経験から事業責任者までキャリアを築いた筆者が、スタートアップのカンリーへ転職。前職への不満はなく、むしろ多大なチャンスと正当な評価を与えてくれた素晴らしい会社だと評価している。転職の決め手は、カンリー代表からの熱心な誘いを機に自身のキャリアを見つめ直し、「さらなる自己成長」と「スタートアップの上場フェーズを経験したい」という思いが強くなったこと。代表の熱意、優秀なメンバー、プロダクト開発のスピード感、そして4年来の関わりで見てきた成長への確信が後押しとなった。新天地ではPMMとして事業成長に貢献することに強い意欲を示している。
2016年にアイザックへ入社し事業責任者を務めたが、個人の成長に壁を感じ2021年に退職。退職後は映像制作会社の創業や複数スタートアップへの参画を経験し、グロースの再現性を確立した。3年後、創業時の「実験」カルチャーを維持しつつ「勝ちにこだわる」姿勢でより強くなった組織と優秀なメンバーに魅了され、アイザックへ再入社。「ラス恋」事業の責任者として、再び事業成長に挑む。キャリアの停滞感を理由に一度離れたが、自身の成長と会社の成長を経て、再び同じ環境で挑戦する決意をした。