ソリューションアーキテクト
16件の転職体験談を掲載中
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ソリューションアーキテクトの退職理由の分布
ソリューションアーキテクトの入社理由の分布
ソリューションアーキテクトの転職体験談
ソフトバンクに6年間在籍し、うち2年8ヶ月はAlibaba Cloudの日本事業立ち上げに技術職として従事。事業の成長に伴い、自身の技術力を深める機会が減り、キャリアプランとの乖離を感じ始める。給与や人間関係に不満はなかったが、技術的なキャリアを追求し、プロダクトの価値を顧客に届ける手法を磨くため、外資系企業への転職を決意。新規事業の立ち上げという貴重な経験を次に活かす、前向きなキャリアチェンジである。
サイバーエージェントにインフラエンジニアとして約9年間在籍。サービスの成長に貢献し、自由な社風の中で勉強会登壇など多くの貴重な経験を積んだ。会社への不満が理由ではなく、自身のキャリアに幅を持たせるため、またライフステージの変化を機に、新しい環境へ挑戦することを決意。今後のキャリアの選択肢を増やすための前向きな転職。
新卒でクラスメソッドに入社後9年間、Android開発から始まり、サーバーサイド、子会社CTO、ソリューションアーキテクト、プロダクトオーナーなど多岐にわたる業務を経験。会社の変化と成長に合わせ、自身も技術力とキャリアを築き、特にブログ執筆で社内外に大きく貢献した。しかし、長年の在籍でインプットよりアウトプットが多くなった現状から、更なる学びと自身の価値を試す挑戦を求め転職を決意。会社への深い感謝と共に、次のステップへ進むキャリアを綴っている。
ZOZOテクノロジーズでインフラ未経験から2年間勤務し、エンジニアとして大きく成長。所属チームや業務内容には満足していたが、社内の人材流動性を目の当たりにし「本当にやりたいこと」を自問。強い不満はなかったものの、キャリアの次のステップに進むべき「直感」を信じて転職を決意した。転職先はヒューレット・パッカード・エンタープライズで、クラウドネイティブ専門のソリューションアーキテクトとして、ハードウェア主体の企業で新たな挑戦を始める。
Pivotalに在籍中、VMwareによる買収を経験し、通算約4年半Solutions Architectとして勤務。Pivotalのオープンなカルチャーと「Platform as a Product」の思想に強い影響を受ける。VMwareへの転籍後は、待遇が大幅に向上し事業も安定したが、会社の事業フェーズが変化し、かつてのPivotalのカルチャーが失われたと感じた。大きな不満はなかったものの、自身が新たな挑戦を求めるタイミングと捉え、同業界の別企業への転職を決意した。
ミクシィで3年間プラットフォーム開発に従事。プラットフォーム開発のやりがいや魅力を感じ、素晴らしい同僚に恵まれた一方で、他部署のエンジニアとの価値観の違いに心残りを覚える側面もあった。明確な不満は述べられていない円満退職。退職後はトレジャーデータ社へ移籍し、ソリューションアーキテクト/エバンジェリストとして、トップエンジニアに囲まれながらビッグデータ解析の魅力を伝える新しいキャリアに挑戦する。
AWS Japanにソリューションアーキテクトおよびマネージャーとして6年間在籍。挑戦的な業務、素晴らしい同僚やカルチャーに恵まれ、自身の大きな成長を実感した円満退社。特に、マネージャーとしての経験やコーチングの学びはキャリアのハイライトとなった。コロナ禍での柔軟な働き方など、会社からのサポートにも深く感謝している。明確な退職理由は述べられていないが、次のステップとして新たなチャレンジに進むことを示唆している。
5年間ソリューションアーキテクトとして勤務したAmazon Web Services Japanを退職。グローバル企業の文化、チームマネジメント、クラウド技術の仕組みなど、多くの貴重な経験を得たことに感謝している。Amazonの企業文化を高く評価しているものの、慣れた環境が自身にとっての挑戦ではなくなりつつあると感じ、見慣れた環境から脱却して新たなチャレンジをすることを決意。これまでの経験を活かし、次のステージで貢献していく意欲を示している。
研究室同期の笠井さんと堀江さんは大手企業からフライウィールへ転職。笠井さんのリファラルで堀江さんも入社し再合流。大手企業での経験後、エンジニアとして手を動かしたい笠井さんと、成長と裁量を求める堀江さんは、フライウィールの事業とカルチャーに魅力を感じ転職を決意。スタートアップながら働きやすい環境で、リファラル入社によりスムーズにチームに馴染み、活躍している。
新卒でAWSにSAとして入社し3年間勤務。1年間の充実した研修を経てスタートアップチームで技術支援を担当し、Amplifyの普及活動にも尽力。Working Backwardsの精神を実務で体感し、大きな学びを得た。元々入社前から「3年働いたらスタートアップにチャレンジする」と決めており、計画通りのポジティブな転職となった。
AWS JapanにPrototyping Engineerとして約3年間在籍。優秀な同僚とキャリアを飛躍させる環境に恵まれ、会社への評価は非常に高い。しかし、短期的なプロトタイピング支援という役割上、長期的にプロダクトにオーナーシップを持てないことに物足りなさを感じ、プロダクト開発の現場に戻ることを決意。転職先はFintech企業で、Software Engineerとして再びエンジニアとして成長を目指す。
金融スタートアップのFOLIOにテックリードとして入社し、1年8ヶ月在籍。開発プロジェクトの推進やエンジニア組織のブランディング確立に大きく貢献した。しかし、複合的なストレス要因から「抑うつ状態」となり休職。復職後も特定のストレス要因が解決できず、環境を変えるため退職を決意。以前接点のあったfreeeから再度声がかかり、エンジニア組織の課題解決を担う新設の「開発組織企画」というポジションに魅力を感じて入社を決めた。